八千代の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

千葉県八千代市歴史探訪
八千代市の概要
八千代市は、千葉県の北西部に位置し、北に印西市・白井市、東に佐倉市、南に千葉市、西に船橋市・習志野市と隣接しています。市域の中央を八千代市のシンボル「新川」が南北に流れ、北側には下総台地の緑豊かな自然、南側には緑の景観に配慮した市街地が形成されています。1996年(平成8年)には、都心に直結する東葉高速鉄道が開通したこともあり、首都30km圏の位置と交通の便、自然環境の良さから首都圏のベッドタウンとして急激に発展しました。

八千代のあゆみ
この地には約3万年前から住んでおり、その跡が村上の萱田遺跡から発見されています。また、市域の中央を流れる新川の両岸に古墳が集中しており、その出土品などから、荒川流域に豪族が住みつき、多くの古墳を築いたことがうかがえます。しかし646年、「大化の薄葬令(はくそうれい)」により、身分によってお墓の大きさが決められ、勝手に大きな墓を作ることができなくなったことや、仏教が広まり、お寺をつくることが広まったことなどから、古墳は次第に作られなくなりました。

1615年、佐倉藩主土井利勝は佐倉城を築き、現在の成田街道(国道296号線)にあたる佐倉道を開きました。日光道中の脇街道で、日光街道の千住宿から分かれ、八幡、船橋を通り、八千代市大和田に至り、佐倉から成田まで続いていました。佐倉道は、江戸中期から盛んになった成田詣で賑わい、街道沿いの大和田と萱田町の宿には大勢の客が宿泊するようになり栄えていました。またこの時代に、平戸の染谷源右衛門・老中田沼意次・老中水野忠邦らによって、三度印旛沼の開削が行われましたが、資金難や失脚などが理由でいずれも失敗に終わります。その後の昭和になってようやく干拓が完成し、現在の新川の形となりました。

かつて市域には25の村がありましたが、1889年の町村制施行に伴って、大和田村・睦村・阿蘇村の3村となりました。その後、大和田は村から町となり、1954年、大和田町と睦村が合併して八千代町ができました。同年阿蘇村を加え、ほぼ現在の市域の形ができあがると、1967年に市制が施行され、八千代市が誕生しました。これより少し前に八千代台に全国初の住宅団地が誕生しましたが、その後の市内では、勝田台団地・米本団地・高津団地・村上団地と大規模な団地造成が続きます。さらには八千代工業団地を筆頭に工業団地造成が続き、市の人口は急激に増えていきました。現在は人口18万人を超える都市にまで発展しており、「一人ひとりが幸せを実感できる生活都市」を目指し、まちづくりを進めています。


八千代の名前の由来
昭和29年に千葉郡大和田町と睦村が合併、「八千代町」が誕生しましたが、「八千代」の名前は、その時公募によって付けられました。「八千代」という言葉は、めでたく喜ばしい時に使われ、「無限の発展性を秘める」という意味があります。


八千代の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
 郷土博物館
住所: 〒276-0028
千葉県八千代市村上1170-2 [地図を見る]
電話番号: 047-484-9011
開館時間: 9:00〜16:30
休館日: 月曜日、祝日、臨時休館日、年末年始(12月26日〜1月4日)
入館料: 無料







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